夏燈花会 © 中村公彦 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)
日本の「国」は、2000年以上前にできました。
「後漢書」は、中国の古い歴史書です。
「後漢書」に、日本の「国」について書いてあります。
57年に「漢」の皇帝(Emperor)が、日本の中にあった「奴国」の王様に
金印をあたえました。
「漢」とは昔の中国のことです。
▼ この金印は、江戸時代に、いまの福岡県志賀島で発見されました。
国宝に指定されています。
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この金印には、「漢委奴国王」と書いてあります。
当時の日本は委と呼ばれていました。
漢は、日本に友好のしるしとして、金印を送りました。
「後漢書」とは別に、200年代に書かれた、中国の歴史書があります。
(「漢書」地理志)
その本によると、当時の日本には100以上の「国」がありました。
現在の日本には47の都道府県があります。
都道府県とは、日本の地方の単位のことです。
「地方自治法」という法律で決められています。
都道府県の最高責任者は、「知事」です。
昔の「国」は、いまの「都道府県」のような、地方ごとの単位でした。
これは、701年に「大宝律令」で決まりました。
「大宝律令」は、日本ではじめてできた本格的な法律です。
▼「大宝律令」を決めた朝廷(Imperial Court)、平城京の跡地
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「大宝律令」ができたあと、日本は「五畿七道」という8つの地域に分かれました。
さらに68の「国」もできました。
「国司」というリーダーが、「国」を統治しました。
「五畿」とは?
「五畿」は、朝廷(Imperial Court)のまわりにある5つの「国」のことです。
この5つの国はいまの日本の首都圏のようなところでした。
この5つの国は、「五畿内」とも呼びます。
「七道」とは?
朝廷は「五畿」以外の地域を、「七道」という7地域に分けました。
この7つの地域を
と呼びます。
そして朝廷は、7つの地域すべてに「国」を置きました。
朝廷は738年に国の名前を漢字2文字にすると決めました。
漢字1文字の国
むかし
という名前でした。
このように漢字で1文字の名前の国もあります。
漢字3文字の国
という名前でした。
漢字で3文字の国もありました。
文字の使い分け(前後や上中下など)
などの名前の国があります。
そして前後ではなく「後」の代わりに「奥」を使っている国もあります。
これらの国は「三陸」と呼ばれています。
具体的には
の3つの国です。
朝廷は都があった「五畿内」の地域から近い国に「前」や「上」を付けました。
これが国の名前のルールです。
このほか「遠近」の文字を前に付けた国もあります。例えば「近江」や「遠江」などの名前の国です。
これらの国の名前についている「江」は「淡海:淡水の湖」という意味です。
淡水とは、塩の入っていない水のことです。
「五畿内」の近くには、2つの淡水でできた湖があります。
近い場所にあるのが琵琶湖です。
この湖の近くにあるのが「近江」です。
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そして遠い場所にあるのが浜名湖です。
この近くにある国が「遠江」です。
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「国」の数は時代によって少し差があります。
だいたい国は68で、都道府県は47です。
「国」の数は都道府県の数より20くらい多いです。
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4つの国がある島。県の数も4つ
↓
9つの国がある島。県の数は7。
「州」は「国」と同じ意味です。
この九国を九州と言っています。
九州とは
のことです。
県は
です。
すべてあわせて7つの県です。
たくさんの国からできた府と県
兵庫県
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兵庫県は
の5つの国からできました。
三重県
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三重県は
の4つの国からできました。
京都府
京都府は
の3つの国からできました。
大阪府
大阪府は
の3つの国からできました。
他に3つの国からできた県は千葉県、静岡県、岡山県、福岡県などです。
2つの国からできた県も、ほかにもたくさんあります。
1つの国が2つの都や県になった場所
朝廷は905年に「延喜式」という法律の細則を作りました。
細則とは、元の法律よりもさらに細かいルールを決めたものです。
この細則で、朝廷は「七道」の国々を3つに分けました。
朝廷は国を「五畿内」からの距離によって
に分けました。
現在の中国地方は、文字通り昔は「中国」に分類されていました。
しかし、今の中国地方や北陸地方と四国の東側の「阿波」「讃岐」も
「中国」に分類されていました。