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【日本の文化】日本を代表する作家、三島由紀夫の魅力とは

【日本の文化】日本を代表する作家、三島由紀夫の魅力とは

【日本の文化】日本を代表する作家、三島由紀夫の魅力とは

戦後の日本を代表する大作家

みなさんは、日本の作家、三島由紀夫を知っていますか?

三島由紀夫は戦後の日本で代表的な作家です。
三島由紀夫が書いた数々の作品は、日本だけではなく世界中で読まれています。

今回は、三島由紀夫の魅力についてご紹介します。

昭和時代に生きた作家

三島由紀夫の本名は平岡公威といいます。
1925年に東京で生まれました。

幼い時から詩や童話などの読書が好きで、13歳の時には初めて短編小説を書きました。
そのため、日本の作家たちの中で「若き天才」と評判になっていました。

東京大学に入学した後に本格的な作家としての活動を開始しています。
そして、多くの作品を発表しました。

  • 『仮面の告白』(1949年)
  • 『潮騒』(1954年)
  • 『近代能楽集』(1956年)
  • 『金閣寺』(1956年)
  • 『鹿鳴館』(1957年)
  • 『鏡子の家』(1959年)
  • 『憂国』(1961年)
  • 『サド侯爵夫人』(1965年)
  • 『豊饒の海』(1965-1970年)

などの優れた作品を発表し続けました。

三島由紀夫は昭和が始まった1925年に生まれ、戦後の日本社会の様子や問題点をテーマにした作品を美しい文章や高い芸術性で制作しました。

三島由紀夫は日本国内だけではなく、海外でも有名になりました。
ノーベル文学賞の候補にもなりました。
ノーベル賞は受賞時点で生存している人に与えられるというルールがあるので、45歳で亡くなった三島由紀夫は受賞していません。
ですが、生きていればノーベル文学賞を受賞していただろうと言われています。

美しい文章で日本を表現した

なぜ

三島由紀夫はこんなにも有名になったのでしょうか。

彼の代表作の「金閣寺」を紹介します。

この作品は三島由紀夫の作品の中でも最もよく売れた長編小説です。

1950年に実際に起きた金閣寺の事件をもとにしています。
京都の金閣寺に憧れた僧侶を目指す少年が、金閣寺を焼こうと決めるまでの過程をかいた作品です。
少年の心の葛藤など、細かく繊細に書かれています。

金閣寺は海外でも1959年に英語版が発売されています。
英語版以外にも世界各国で発売されています。アマゾンなどで購入することが出来ます。

映画俳優としても活躍していた

ボディビルで体を鍛えたり、俳優として映画出演するなど、活躍の場を広げていました。
テレビにも積極的に出演していました。

日本の有名なシャンソン歌手の美輪明宏さんのために戯曲「黒蜥蜴」を書いたりもしました。

映画に出演している三島由紀夫は「からっ風野郎」という作品で見ることが出来ます。

また、「Mishima, une vie en quatre chapitres」という作品は、日本とアメリカの合作の映画で三島由紀夫の生涯と作品を題材にしています。

三島由紀夫の長編小説「午後の曳航」を原作にしたイギリス映画もあります。
興味のある方は全てDVDで見ることが出来ます。

衝撃的な亡くなり方

三島由紀夫は、亡くなる数年前からどんどん右翼思想を強くしていました。
彼は日本の美への意識や、生きること、死ぬことに対する意識などに強くこだわりがありました。

1970年11月25日、東京にある自衛隊基地の市ヶ谷駐屯地で自衛隊員にクーデターを喚起する演説を行いました。
その後割腹自殺(ハラキリ)をしました。まだ45歳の若さでした。

なぜそのようなことをしたのかは今もわかっていません。

今回は、日本を代表する作家、三島由紀夫をご紹介しました。

素晴らしい作品や、衝撃的な死に方で今でも日本人の心に残る大作家です。

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