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ヨーロッパにも影響を与えた日本の磁器

ヨーロッパにも影響を与えた日本の磁器

ヨーロッパにも影響を与えた日本の磁器

磁器の歴史

中国で誕生した磁器

「磁器」は、今から1800~2000年前に中国で生まれたといわれています。

そのころ、陶器はねんどだけで作られていました。 しかし、磁器はねんどに石の粉を加えて陶器よりも高温で焼き上げたようです。

磁器の多くは真っ白に焼き上がるので、「白磁」と呼ばれています。

▼ 白磁

中国でいちばん有名な磁器は「景徳鎮窯」です。

白磁にかざりをつけた磁器が、15世紀ごろの「明」の時代にたくさん作られるようになりました。

オランダの東インド会社が、この「景徳鎮窯」の磁器をヨーロッパに輸出するようになりました。

東インド会社は今のインドネシアに本拠がありました。 そして、ヨーロッパで中国の磁器が人気になりました。

ドイツのザクセンに、アウグスト強王という人がいました。 彼は、ヨーロッパで磁器を熱心に集め、磁器を「白い金」と呼んでいました。
そして彼は、ドイツ国内で磁器を作りたいと考えました。

▼ アウグスト強王

日本の磁器の歴史

1590年代に、当時日本を治めていた豊臣秀吉という人がいました。 彼は朝鮮半島に出兵を決めました。 その時に、九州の大名の多くが朝鮮からたくさんの朝鮮人陶工を連れて帰りました。

1610年頃、肥前国(今の佐賀県)の有田という場所で、 朝鮮人陶工が原料の白磁鉱を見つけました。 そして日本ではじめて、磁器の生産が始まりました。

「有田焼」の発展

▼ 有田焼

当初は磁器の特徴である白磁の土台に、 青色で絵をつけた「染付磁器」が主流でした。

▼ 瀬戸内染付

柿右衛門窯の登場

肥前国佐賀藩の藩主である鍋島家が、1637年に窯場を13か所に統合しました。

当時の日本では、現在の都道府県が「国」と呼ばれていました。 そして「藩」がそれぞれの国を治めていました。

1643年に、いちばん有名な陶工の酒井田柿右衛門が「赤絵物」を作り始めました。

鍋島藩は江戸幕府から「長崎警護役」に命じられていました。

長崎警護役とは当時日本と外国が貿易を行う場所であった長崎を守る役目のことです。 そのため、1646年に初代柿右衛門は長崎で「赤絵物」を売り始めました。
1658年には「赤絵物」だけではなく金銀の絵付けにも成功しました。

このころ中国では漢民族の「明」が滅亡しました。 中国人の大半は、漢民族だと言われています。

明が滅亡した後で、王朝は中国北東部の満州族という民族が支える「清」になりました。 この影響で「景徳鎮窯」の磁器がほとんど生産されなくなりました。

長崎の出島に、オランダの東インド会社が進出していました。 彼らはこの金銀の絵が描いてあった「赤絵物」に注目しました。

そして、「景徳鎮窯」の代わりに「有田焼」を、ヨーロッパへ積極的に輸出し始めました。 この磁器を輸出した港が伊万里港でした。 そのため、「有田焼」を「伊万里焼」と呼ぶこともあります。

1710年にヨーロッパで初めて磁器が作られました。 これを日本では「マイセン窯」と呼んでいます。

マイセン窯は「伊万里焼・有田焼」に強い影響を受けています。

酒井田家では、代々「柿右衛門」の名前を受け継いでいます。 現在の当主は15代目です。
1971年には国の重要無形文化財の総合指定を受けました。

そして、2001年には十四代柿右衛門が「人間国宝」に指定されています。 人間国宝とは、国から無形文化財を保持している人間として認められた人のことです。

伝統工芸品の指定

有田焼は、「伊万里・有田焼」として伝統工芸品の指定を受けています。

同じ肥前国で長崎県側で作られている「波佐見焼」も、 有田焼とほぼ同じ時期に作られ始めました。 波佐見焼も伝統工芸品に指定されています。

「九谷焼」:「有田焼」と同じくらいほめられている磁器

▼ 九谷焼

現在の石川県である加賀国の一部に大聖寺藩がありました。 その藩の初代である前田利治が、部下に「有田焼」の技術を習得させました。

こうして1655年に始まった磁器が九谷焼です。 九谷焼は「九谷五彩」と呼ばれています。

これは、白磁の土台に

  • 紺青

の五色で絵が描かれているからです。

伝統工芸品の指定

「九谷焼」として伝統工芸品の指定を受けています。

その他伝統工芸品に指定されている磁器

砥部焼

▼ 砥部焼

砥部焼は、やや厚い白磁に呉須と言われる染料を使って、 うすい藍色の図案を描いた磁器です。
現在の愛媛県である伊予国の砥部町で生産されています。

もともとこの地域では、7世紀ごろから刀や剣などを研ぐときに使う砥石がたくさん取れる土地として有名でした。

1776年に砥石のくずを原料として、白磁の生産が始まりました。 そしてその磁器はとても壊れにくいので、すぐに人気になりました。
厚めの磁器で作られていたので、特にじょうぶでした。
夫婦げんかで磁器を投げつけても割れないので「喧嘩器」とも呼ばれています。

出石焼

但馬国(今の兵庫県北部)の出石という場所で作られている、 白磁を中心とした磁器です。
特に透き通るような白さと、 色をつけないで浮彫や透かし彫りで模様を出すことで有名です。

磁器と旧国名

磁器の歴史は17世紀以降です。 そのため割と新しい文化です。 当時は日本全国に300以上の藩がある状態でした。

藩名や藩の中の地域名を付けることが増えたので、 旧国名がつけられなかったのでしょう。 「出石」は藩の名前からつけられました。

また、

  • 「有田」
  • 「九谷」
  • 「砥部」

は作られている地域の名前です。

「鍋島焼」は「有田焼」と同じように、現在の佐賀県である「肥前国」で作られている磁器です。 しかし、鍋島藩(今の佐賀県)の管理する窯で作られたので、「鍋島」という名前が付けられています。

(文章・画像提供:gmaru様)

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